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日々のアレコレ。

ブリとはまちが好物なオッサンが感じたこととかを書いておきます。

命の終わりに特別な人。

エッセイ

人の死を意識した時、自分にも置き換えてしまうクセがある。

 その際に悲しみの度合いと言うのが気になった。

妻の生き方に「一律」と言うものがある。
それは他人の子も自分の子も子供は子供で度合いは変わらずに自分の子であろうが他人の子であろうがえこひいきをしないというものであった。
照れ隠しなのかと思ったがどうやらそうではなく、彼女は本気で一律の変わらぬ情で接すると言っていた。
これは子供達からしたらたまったものではない。
他所の子供はその親にえこひいきをされていたら子供達は損をしているような気がしてしまうのではないかと自分は思っている。
 
そんな訳で悲しみの度合いも一律なのかが気になったので妻に聞いてみた。
今回は自分の大叔母が危ない訳で大叔母が亡くなった際の悲しさと別の人が亡くなった際の悲しさは同じなのかと聞くと「同じだ」と言う
ではその別の人が自身の親では?もっと近しい親族であれば?と聞いたが「一律のはずだ」と言う。
ここで自分では?と聞いてみたが「それどころではない」と答えられてしまった。
詳しく聞くと1人で子供達を育てる算段をしなければ行けないのでそれどころではない」と言っていた。
これが本心か、照れ隠しなのかで言えば真意は彼女にしかわからないが、恐らく悲しくもなんともなく、ただ生活の糧が失われた以上それどころではないのかもしれないなと思い、結局自分は何年連れ添っても特別にはなれなかったんだなとブルーになった。
 
悲しみに差をつけない彼女が正しいのかはわからないが、やはり連れ合いとしては特別な存在でいたいものです。