読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日々のアレコレ。

ブリとはまちが好物なオッサンが感じたこととかを書いておきます。

ひとまず最後の僕とあなたの温度差。

過去記事はコチラ。

buri-hama.hatenablog.com 

buri-hama.hatenablog.com 

buri-hama.hatenablog.com 

buri-hama.hatenablog.com 

buri-hama.hatenablog.com 

buri-hama.hatenablog.com 

buri-hama.hatenablog.com 

今日は幹事くんの主催する例の会当日でした。

自分は仕事如何で出席できますと言っていて、結局は仕事が休めそうだったのですが、下の子が前日夕方に体調不良を訴えてきて、時期的・症状的にインフルエンザ疑惑もあったので、下の子の看病?もあったり、妻が下の子の面倒を見れば上の子の面倒を見る必要もあったので欠席しました。*1

 

 

で、今現在モヤモヤしている次第。

一応書くと欠席したからモヤモヤしている訳ではないのです。

多分、出席していたとしたら、撮影係*2とか言われていたし、それ以外にも下の子が心配で心から楽しめず携帯片手にそわそわしてしまって空気は悪くしてしまっていただろうし、お金と時間を消費して家に帰れば妻子の不満げな表情を見ることになって、モヤモヤどころかイライラしていたかもしれないので欠席自体が嫌な訳ではないのです。

なのでモヤモヤを解消すべく、今のモヤモヤを字面にしてスッキリしようとしている次第なのです。

 

当日欠席のトラウマスイッチON

子供の頃、病弱で学校行事を休みがちで遠足などでも当日ドタキャンとかザラで、後日治って学校に行くと盛り上がった話とか聞く事になって嫌だった事を思い出してしまいました。

さらにタチが悪いのが携帯電話。

子供の頃に携帯なんてありゃしないので、楽しかろうがつまらなかろうが、トラブルに見舞われていようが、完璧に蚊帳の外なので自己の状況にのみ専念できたのに、今は連絡手段がFBのメッセージ機能だったために

「今日の集合場所に来ています。○○色の服を着ています。」
「もうすぐ着きます。」
「少し遅れます」
「今日はありがとう」
「また会って今度は○○の話をしようね!」

とか随時入ってくるリアルタイムに参加させられるこの感じ。
風邪で休んでも家の側に学校があったから、チャイムの音や校内放送の音が聞こえてきて、休み時間にワイワイ楽しそうな声とか聞こえてきて、休んでも学校に居る感じがして気が気じゃないあの感じを思い出しました。

そこら辺のトラウマを思い出してしまってモヤモヤしているんだろうなと思っています。

 

…何成功した気になってんの?

昼の部が終了した際に幹事くんが、成功した感じと次回もよろしくと言った感じのメッセージ投稿をしてきました。

正直、行けようが行けまいが根回しや軌道修正をした結果なんだし、裏方でバレないようにやっていたのでこの結果は致し方ないのだけれど、幹事くんが携帯の向こうで意気揚々とした気持ちで「成功」と言っている事にちょっとモヤっとしてしまいました。

自分の立場からすれば先の読めた結果だったのに、モヤっとしてしまったのは上の事があったからか、はたまた余裕が無いのか…気をつけようと思いました。

  

吐き出した後思うこととか。

正直、行けなくて良かったと思っている部分が大部分です。

小遣いの底が見えて非常事態宣言をしてしまうくらいに今は余計な出費を抑えて貯めたいと思っているときに懐かしいからと言う事で水準の違う会費は払いにくいし、やはり使用順位としては子供達との時間や思い出の為に使っていって、残った部分で今回の会みたいなものに出るべきだと思っています。

下の子の発熱が無かったとしても、行って心底楽しめるかどうかは幹事くんが幹事くんで撮影係だの何のとゲスト扱いをされていなかった段階で分の悪い博打でしたし、夜の部に参加しない男子として今も居ない部分で悪く言われているかもしれないので、やはりそこら辺を冷静に考えると行くべきではなかったのかも知れません。

昔は、既婚者と未婚者の隔たりなんて気のせいでうまくやれると既婚者の話を聞くたびに思っていましたが、若輩者の驕りだったんだなぁと痛感しております。

 

そして日をまたぎ。

朝からメッセージ機能がうるさかった。

昨日の会がどうのとか幹事くんが色々と書いていてうっさかった事が、下の子の体温が下がってインフルではなかったことに安堵した次に思ったこと。

メッセージの中でやはり幹事くんが勘違いしていたようで下手に出つつも

「俺いいでしょ?いいねしていいんだよ?」

って感じの発言をしていて、目覚めが悪かったのと。

「写真を貰いたいので撮った方ください」

と書いてあったことで、朝イチからイラっとしてしまった。

お前は本当に人に撮影係とか言っておきながらカメラも持ち出さずに、人が撮った写真をよこせと言う程に会を楽しんだんかい?と…

その後、誰かがUPした写真を見て、皆大人になったなと思いつつ、幹事くんがオシャレしてリア充を意識したポーズで写真に写っていたのを見て妻と「なんとあの幹事くんが!?」とプチ盛り上がり。

 

そしてさらに日をまたぎ。

後日FBのタイムラインを見ていると、幹事くんの投稿に「この前の集まりで、卒アルがあればよかったと言われたので探しました。」と書いてあって卒業アルバムや文集等の写真が出てきていた。

正直、卒業アルバムの有無や文集の有無が会の成功率に関わるイメージが持てず、画面のコチラ側で困惑してしまう自分。

アルバムはまだしも、文集なんて焚書ものである自分は思わず妻に状況を話して意見を求めてしまった。

妻は「幹事くんは何故アルバムを用意をしなかったのだろう?」と言っていた。

その後ついでのように「本当に彼って名ばかり幹事で何もしないんだね。普通に幹事が写真とか撮ったり、アルバムとか用意しない?」と妻は言っていた。

詳しく聞くと、妻の方で先日あった集まりでは主催者が卒アルを持ってきていて、思い出話の中でついていけない人や忘れてしまっている人が「誰ソレ?」となった際に、アルバムが活躍をして「この人だよ」と言う確認が出来る事で会話の流れが止まらずにスムーズに会が進行した経験があったことから、妻に言わせれば幹事くんが幹事を名乗り出た以上、家が近い事もあるのだから卒業アルバムの一つも用意して集まるべきであったのではないか?と言う事であった。

卒業アルバムの有用性は確認できた次第ですが、文集なんて何の意味があるのかが正直理解に困る。

今blogに書いてあるように自分の好みで書いた文章と違って学校では何かを書かされたイメージしかなく、何を書いたかも覚えていない。

それこそスクールカーストの上位から読んでいく、もしかしたら上位はスルーで中位から読まれていって、中位が気恥ずかしさで下位の文章を読んで自分の恥を隠し通して、その日中数十年前に書いた文章を卑下する会になるのではないかと思う。

そんな事のために集まる意味が正直わからない。

今、探し終えた幹事くんは文集を読んでいて笑っているかも知れない。

何だか、何を書いたかもわからない文章で今笑いモノにされているかも知れないと思うとムショウに不愉快な気分になってしまう。

モノづくりをしていて一番嫌な瞬間が、作品を作品単体として見られずに自分と一緒に見られてしまうこと。昔アレだったお前がコレを?と言った感じで良い写真を撮っても、撮った人間によって評価が変わってしまう状況。

 

文集なんて酒の席で出して何の価値があるんだろう?

…全く意味がわからない。

文集を読みあって楽しく飲めるのはリア充の皆さんだけで自分には到底無理な話。

あの会の後、色々な人たちが社交辞令だとは思っているけれど、「今度は会えるといいね」と言ってくれていたが、正直この文集一つでそれは無くなった。

 

そしてここに長い長い戦いがひとつの終わりを迎えました。

*1:後は万一下の子がインフルだった時には自分もキャリアになってしまうので参加して参加者や家族に迷惑はかけられないと思ったため

*2:意味不?