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日々のアレコレ。

ブリとはまちが好物なオッサンが感じたこととかを書いておきます。

無理の定義を教えてください。

 

buri-hama.hatenablog.com  

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上で書いている大叔母の容態が芳しくない。
前の週は元気そうで安心したのに一週経つとガラリと変わる。

「一粒の恐怖。」なんかは良くなった日に書いて下書きに入れていたもので、まさか公開する気もなかった日に不調の話を聞くことになって慌てて公開することにした。*1


良かったと思ったら悪くなる。
悪かったと思ったら良くなる。
この繰り返しならまだ良いが、確実に悪くなる日が増えている。

 

今回の不調の感じで周りの空気もガラリと変わってしまい、早めにお見舞いには行っておいた方が良いという話にはなっているが、「今は無理」と言う話を叔母達とメールした。
自分は年末進行でまとまった時間が取れないし、叔母達も仕事の関係や家族の事柄云々で難しいのだと思う。

ただ、自分の無理と周りの無理の温度差を感じたので無理の定義を知りたくなった。

周りの無理は家族との生活を脅かさない線引きで無理と言っている気がする。

しかし自分がそれをしたら吊し上げられて悪く言われると思っている。
それは被害妄想と呼ぶ部分もあるのかも知れないが、大筋は間違っていないわけで毒親が庇護しない子供なんてものは何歳になっても、立場がどうなろうと、例えそれが親戚だとしても集中砲火のターゲットにされる。
無理と線引きをした人間が自身の後ろめたさを隠すために自分を悪く言うことで責任の所在を曖昧にしたり、色々な事柄に使うのが読めている。

現に前の段階でも「行くと疲れさせちゃう」と言う声も出てはいたが、確かにそう言う見方もあるが疲れさせちゃう?行っておいたほうがと言う話になっているのに意味がわからなかった。

 

大叔母は老後も遠方に行った息子たちの所には行かずに永く暮らした地元を選んでいた。

ずっと一人だった人間が誰かと一緒になると言う事は難しく、譲歩やそこら辺の努力を確かに怠った結果だとは思うが、この終末にきて後悔をしているように思える時がある。

申し訳ないが、今近い距離で周りにいる人間は親戚であって子や孫ではない。

子や孫ではないので今寂しい思いをしているのも自業自得とかそう言うものだとは思う。

うまく言えないが、子のような者は子ではない。孫のような者も孫ではない。結局土壇場で線引きがされてしまっている。

それは逆の立場であってもそうであったと思う。大叔母も逆の時には母のような者、祖母のような者であって、母や祖母ではないのだから。

 

だが、今大叔母は「もう帰るの?」「寂しい」「また来て」と会うと自分に言ってくる。

ここで無理をしないことは自分の中で後悔や心残りになると思う。

だから出来る限りの無理をしたいとは思う。

 

ただ、どうしてもこの週と翌週には時間が足りない。

年末進行の一番の山場で自分が職場から欠けることはありえない。

家族が居る以上、どうしても譲れないラインがある。

本来ならば、毎年のことで言えばこの山場を過ぎた後いつも無理が祟って倒れることになる。

なので山場後は出来うる限りプライベートを省電力モードでやりくりして年内は二度と倒れないようにして年末の休みを迎えてから倒れるようにしなければいけないと思っているが今回は無理をするしかないのかもしれない。

 

後、自分の問題は婆さんの件である。

身体が不自由なので見舞いに行きたがっても連れて行きにくく、更に言えば準備にも時間がかかる。自分一人で往復1時間で済むとしたら婆さんが追加されると実家への送迎と車椅子の用意、婆さんの移動速度などで3時間半はみなければならない。

実家の親がやりくりをすれば良いと思うが、親は線引きのピークが早いために年内は大叔母が「峠」を迎えない限り行くことはないと思う。

 

手詰まり感が満載で、結局自分が無理をしないとどうしようもないような気がしているが、とりあえず婆さんの件は「子世代」に任せて「孫世代」である自分は一人で大叔母のところに顔を出せるだけ出そうと思うことにした。

結局発熱のひとつもしたら病院には行けなくなるので過度な期待は持たせられない。

 

大叔母のこと

結構なウルトラ婆さんで面倒くさい部分が多かった人で一人で頑張って生きてきた結果、かなり図太くてKYな感じな人だったが、今になると良くしてもらったことばかりが思い出される。一緒にご飯に行ったことなんかを思い出してしまい、やはり頑張るしかないのかな?と思えてしまう。

 

しかし、自分は孫ではない。

先日も大叔母は自分のことを「孫と同じに思っているよ」とは言ってくれていた。

ありがたい事ではあるが、きっとそれは孫に満たされていないから出ている部分も少なからずあると思う。

ちょっと毒を吐くと「ええ格好しい」な部分もあるんだと思う。

格好悪くて、嫌われたくなくて孫には言えないが準孫の自分には言えることもあるのであろう。

だからこそ出る「もう帰るの?」「寂しい」「また来て」なのだと思う。

 

その上で思うのは本物の孫もよい年齢である。アラサーやアラフォーなのだからちょっと面倒とか思っても行くべきであると言う事。

ただし、自分には強制なんて出来ないし面と向かって文句も言うべきではないと思っている。

文句は大叔母が言えば良いことで自分が言うことではないなと思う。

奴らは良くしてもらった記憶よりも「無理の線引き」が勝っているのだと思う。

結局、厳しい言い方をしてしまうと、それまでの話でそれ以上もその先もないのだと思う。

 

だから自分は自分が言われている「もう帰るの?」「寂しい」「また来て」を受け止めて可能な限り心残りがないようにしようと思う。

 

ただ、きっとやるだけやっても悪くは言われると思う。

あの手この手で悪く言われることになると思う。

 

それでもやらなかった奴らよりはマシだと思うし、そんな奴らは正直関係ない。

 

大叔母にその日が来てしまった後、思い出すたびに後悔や心残りに心が押しつぶされないように出来る限りをしようと思う。

 

うまく考えがまとまらずモヤモヤしていて眠れそうに無かったので書いてみました。

理想はコレを公開した後で「やっぱ不調嘘じゃん!昭和初期は強いな!!」って言えるように大叔母が元気になってくれることです。

そして元気になってくれたら大叔母に言ってやりたい。

「俺、信じてたよ!流石!!」って笑いながら言ってやりたい。

きっと大叔母も元気になっていたら「そうでしょ?」って言ってくれると思う。

*1:これを書くために下書きの公開スケジュールを変えました。