日々のアレコレ。

ブリとはまちが好物なオッサンが感じたこととかを書いておきます。

全ての差は受けた愛情だと思う。

叔母からメールが着た。*1

 

それは何度目かの断絶考え直せよメールで、やり取りの中で婆さんのボケは進行していて自分が婆さんの所に近寄らないのは婆さんが自分を怒らせてしまったからだと勘違いしていると言う事でした。*2

 

まあ、その理由は数年前に婆さんの勘違いでプチ迷惑をかけられた話でしたが、別に遺恨も何もなく「ああ、あったね」と言うもので笑ってよろしく出来るものでした。
ただ婆さん本人がそれを気にしている事から連絡が無いのはそれが原因と思い込まれたらしい。

 

叔母からは婆さん可哀想だから電話くらいしてあげなよと言われたりもするが、やはり時期的に上の子の進学云々があり、今顔を出す事は奴等からお祝いの催促と邪推されかねない事を伝えて辞退しておいた。

 

その後、叔母から母親の名前も出されて「最近益々おかしくなっている」と言われた。
別段それがどうかしましたか?と言う以上の事にはならなかった。

 

 

母親が完全日和見主義者で自身に激甘で調子のいい輩なのは今に始まった事でもなければ、問題の解決より問題の先送りが得意な以上、塩漬けして逃げてきた事柄や、やるべき事が大挙した時にウツ状態になるのは既知である。

 

現在の状況もなるべくしてなった事なので何も特筆する事は無かった。

 

その後、連絡が終わってから婆さんのボケが進行している話には考えるものがあったが母親のウツ状態には何も無かった。

むしろ益々近寄りたくなくなった。

これはいままで受けてきた愛情の差であると思った。

 

結局、親子であろうが無償の愛だなんだという言葉もあるが良くも悪くも因果応報で、良くも悪くもやられたことはいつまでも覚えていると言うもの。

 

年齢のおかげで達観していて適当とは言え、婆さんの境遇で自分を育ててくれたことには感謝しかない。

自身の物差しだけで都合よく育児をして正念場で何もせずに日和見主義者で逃げ切った親はそこまでの存在でしかない。*3

確かに婆さんと親では責任が違うと思うが、結局一緒に過ごした時間の内容で婆さんに軍配が上がったと自分は思っている。

 

最近、この関係はカッコウ等の托卵に近いものがあったと思う。

大人になった子鳥の前で親鳥が親権の主張をしても子は生みの親より育ての親を選ぶ結果になっただけだと思うし、親自身自分を子供と思えないと何回か口にしている。

 

コレを書いていてふと思ったのは、親カッコウには子カッコウへの愛情はあるのであろうか?

 

自分を例題にするのであれば、お互いに最低限の情があったとしても無償の愛をささげられる存在ではないと言うことになると思う。

親も自分に利用価値が無ければ無視をするし、自分もそれに対してなんら心が動くこともない。

 

親子の形はそれぞれで自身が一般的な育児をしなかったのに、一般的なゴールを求めるのはお門違いである。

 

ダラダラ書いてしまったのでこの言葉を最後に締めようと思います。

人は良くも悪くも忘れない

*1:それに関する話はコチラ:

 

buri-hama.hatenablog.com

buri-hama.hatenablog.com

buri-hama.hatenablog.com

buri-hama.hatenablog.com

 

*2:その話はコチラ:

 

buri-hama.hatenablog.com

 

*3:やりたいときにだけやって、やりたくない時にはやらない。