日々のアレコレ。

ブリとはまちが好物なオッサンが感じたこととかを書いておきます。

無理の先。

実家とは絶賛断絶中です。
そんな実家の話。

 

婆さんの老化とボケはかなりのスピードで進行しています。
連絡をくれる叔母との話しで、少しでも脳に刺激を与えるべく、週に一回から二回のペースで電話をかけるようにしている。
そして通話内容の所見を叔母に伝える事にしている。
会話内容のチェック項目はだいたいこんな感じ。

  • 会話の内容が何回重複したか。
  • 話し方はハキハキしていたか。
  • 通話相手が自分と終始自覚しているか。
  • 直近の出来事のヒアリング結果
  • 翌週以降の予定の確認。
  • 今現在周りに誰か居るのか、居ない場合には何時に帰宅するのかの確認。
  • 自分の近況を話してどんなリアクションかの確認。

やはりと言うか、去年の方がマシな回答が多くていやでも老化を痛感している。
そこ持って日中一人きりになる時間が増えているのでボケはかなり加速していると思う。

 

多分、加速の一因には自分が実家に行かなくなった事もあると思っている。

自分も行かなければ完全に同居人と医者以外の目新しい人には誰にも会わない週が続く事もあり、そうなればボケが加速してしまう気がした。

恐らく、伝えられている叔母は内心で自分の対応にも問題があると思っているであろうが、一度もそこを言われる事はなかった。

前年までのように最低でも月に一度は時間を割いて顔を出していればまだ違ったかも知れないが叔母は何も言わなかった。

 

その理由としては実家の親がウルトラクソ人間過ぎて、自分の態度が致し方ないものであると判断されたようであった。

 

悪化の一途を辿る婆さん。

婆さんなりに考えがあって、できる事なら自身を放っておく(構い方の方向性の違う)実家ではなく、叔母のところに行きたいと頻繁に口にするようになっていた。

 

本当に叔父はいい人なので婆さんが行ってもイヤな顔をしない。

しかし叔父にも親がいるわけで婆さんだけに傾倒する訳にはいかないので、交互となると叔母の負担も半端ないし、婆さんも腰を据える事が出来ない。

車椅子だ介護用品だと身一つで行けないのもネックの一つだと思う。

 

これまでで言えばそこら辺の緩衝材として自分が送って行ったり迎えに行ったりをしていたが、送迎をすると言う事は実家と関わる必要が出てくるので出来なくなった。

しかし婆さんの意思も尊重したいし、そもそも実家に置いておく事は自殺行為で確実に老化とボケが加速する。

しかし婆さんに傾倒も出来ないとして叔母は苦しんでいる。

そんな話をしながら実家が関わるからと何も出来ていない自分が申し訳なくなり、ひどく悩むこととなる。

 

そんな話の中で叔母が「お前の母ちゃんは婆さんがこれ以上悪くなるなら無理と言い出した」と言ってきた。

 

これ以上悪くなるなら?

老化しているんだから悪くならない訳がないだろう。
またいつもの言い訳か?
やらなくていい言い訳探しているのか?
無性に腹立たしくなった。


叔母が言うには「無理って言われても困るから婆さんの子供達(第2世代)で今後について話し合う」との事であったが、叔母に聞いても仕方がないが「無理と言ってどうするつもりなのであろう?無理ならなんなの?その先どうするつもりなの?」と聞いてしまった。

 

叔母も困ったと思う。

困った上で「よくわからないけど施設とか考えているのかも」と返事をくれた。

 

夢物語を!

 

正直呆れた。
一緒に住んでやると転がり込んできて邪魔になれば追い出すその思考。
常軌を逸脱しているとしか思えない。

施設と言っているが、恐らく第2世代で一番貯金がないのは奴らである。
金銭的に余裕のある第2世代は1人も居ない。
全員でローンを組んで施設に入れるつもりであろうか?
確かに介護に関してはローンを組んででもお金で解決をしたほうが良いとと言う話も聞く。


しかしそれは全員が納得の行く形でまとまればの事で、勝手に夢を見て思い通りに行かなければ発狂するのは御門違いもいいところである。

 

恐らく与信審査で一番話にならないだろう。

1人100万ねと始めておいて「ウチ駄目だったから1人125万にして頑張ってよ」と言い出しかねない。

 

他の家で同居する旨の案にしても、叔母のように義母との半同居等の個人の都合が沢山ある訳で、いきなり「無理」「あと知らね」と言われても困る。

それこそ実家のようにまだ生活設計の変更が容易な頃に同居を選んでその流れが組めれば問題無いが、今更路線変更が難しい所に「もう無理、次お前らな」と言うのはどうにもおかしいと思う。

 

食べ物の話とも違う訳だが、勝手に出来た料理の出来立ての美味しい頃に「食べてやる」と食い散らかしておいて、飽きたり満腹になったりして要らなくなった所で「もう要らない」「あと食べてよ」と冷めて美味しいところが無くなってから何を言っているのであろうか?と言う話になるだろう。

食べると言ったら残さず食べきれよ。

家に居座るために同居を選んでおいて、介護が必要になれば文句を言い、遂には持て余すとして無理と言い出す。

正直、これの話を聞いて「無理」とはどのようにして設定されるものなんだと考えてしまった。

大叔母のお見舞いの時に周りが自分に要求している無理の度合いと周りが自身に設定している無理の度合いが違う時にも疑問に思ったが、本当に無理とは何なのであろうか?

100あるリソースの中で私生活を優先して20余って20を超える介護が必要になれば無理と言っていいのか?

そもそも介護は40のリソースを消費するので先に40を用意して60で私生活を一部犠牲にする事が無理と言っていいのか?

平たく言えば

  1. 最低限の生活をして、残りの本来の余暇全てを介護に使うべきなのか?
  2. 余暇まで含めて生活をして残りを介護に使うべきなのか?
  3. 余暇を一部犠牲にして介護も完璧を求めずに可能な範囲で介護をすべきなのか?

実家の輩共はこの3つのドレを基準にして婆さんが悪化したら無理と言ったのであろうか?
自分は奴らなら2番だと思ってます。

自分は3番でありたいと思っている。
自分はどうしても弱いので対価や見返りを期待してしまう。
頑張ったのだから婆さんの調子が良くなる事を期待してしまうし、公私で周りから悪く言われない事を期待してしまう。
飲み会に誘われて「介護とか嫁さんに任せて出てきなよ」「いつも介護じゃん」とか言われたくない。介護優先で何が悪いのか?と思う。

そんな訳で、プライベートもそこそこ介護もそこそこでありたいと思う。

遠方の叔母はプライベートを犠牲にして2週に3度くらいのペースで実家に顔を出すようにしてくれている。

実家の輩共がそこに報いることは出来ているのであろうか?

今までの実績があるからもうやらないとアグラをかいているのではないかと思う。

願わくば、第2世代の話し合いで全員が納得のいく話になって欲しいと思っている。

蚊帳の外からになっているが、それをとにかく願っている。


ただ間違いなくその場にいたら「お前が引き取れば万々歳pgr」と母親の旦那に言われて、母親は「名案ktkr!」と言い出してもめにもめただろうなと。
それをわかってか叔母も第2世代だけで話し合いするから大丈夫だと言ってくれたのだと思う。