日々のアレコレ。

ブリとはまちが好物なオッサンが感じたこととかを書いておきます。

いじめの話。

先日、友人と話した際に友人の子供が学校でいじめに遭っていると言う話になった。

申し訳ないが、何となく片鱗は感じていたので心底驚くことは無かった。

 

一昔前の自分なら知っている人間を盲目的に擁護していたが今は年を取った事でそう言う事をしなくなった。

とは言えいじめが許されるわけではなく、根絶されるべきものである訳で、いじめている人間は猛省して一生申し訳ないと思って生きていくべきだと思う。

 

いじめの原因など細かい話は友人の話で出来ないので書きたい点だけ書くと、

  • 何で無駄に群れなければいけないのか?
  • 何で無理をしなければならないのか?
  • 人付き合いに惰性も義務も無理もいらないのではないか?
  • いじめられても付き合いたいのであれば清濁問わずに受け入れる必要がある。

と言うことになる。

このいじめ問題、友人の子が新しく仲良くなった子(A)が居て、Aとは遊びたいがAと前々から付き合いのある子(B)が付いてきて、友人の子を受け入れられずに排除しようと色々してくるらしい。

そしてその色々の中に「周りも巻き込んで攻撃をする」と言うものがあった。

 

正直、この話の一番納得がいかない点はコレで、別にBが友人の子と反りが合わずに排除しようと言うのは構わない。

変な話、世の中全員仲良しなんて言うのは夢のまた夢で、世の中敵まみれであったり、常に人の上に立ちたがったり、自身だけ気持ちよければよいと言う考え方の奴らが沢山いてそいつらが普通に「オレ、オマエノ、トモダチ、ヨロシク」「コマッタ、トキハ、タスケナイケド、オマエハ、オレヲ、タスケロ」とか言ってくる。

そこからすれば露骨に排除しようと言うのは、この年になるとわかりやすくてありがたい。

子供にも「人生は有限だから、そう言う奴には近寄るな」と教えている。

ただ、問題なのはこのBの発案に乗っかって、Bの責任にしていじめに参加をする、もしくは楽しむ連中が居ること。

Aも別に今日は友人の子、今日はBと遊ぶで構わないと思うんですけどね。

 

ここまでだとBが大悪で、その周りが悪になってしまうが、友人の子にもやはり問題がある。

ここで言いたいのは「いじめられるほうも悪い」ではなく「どんな事情があろうともいじめは駄目」である。

友人の子がこの集団の中でいじめられる理由や問題は存在していて、そこを自覚する必要があるとは思う。

今までのやり方が全てではないこと、それが正しい訳ではないこと、大人の世界とは違うルールが子供の世界には確かに存在していること。

そう言った事を理解する必要がある。

厳しい話ではあるが、友人の子は友人の子供だから自分とは付き合いがあるわけで、自分と直接の付き合いがあるわけではない。

仮に友人も自分も友人の子も同い年でお互いの関係が肉親や友人などを取っ払って一箇所に集められただけだとしたら、友人の子とは友人にはならないかもしれない。

うまく書けないがそう言う話で、友人の子は友人の子供だからの付き合いなのである。

 

今までは子ども達も同じ幼稚園で親同士が仲の良いママ友で、その子供同士でなんとなくつるむ事が当たり前であったが、段々とそう言う事ではなくなってきて、普通に個人の気持ちが尊重される話になってくる。

まだ友人の子もAもBもその他の子供もそう言う話を親からされていないのかもしれない。

惰性でAとBの付き合いがあって、そこに友人の子と言う異物が入り込んできたからBは防衛反応を示しているのだと思う。

 

何かうまく書けなくなってきたので、頑張って終わらせようと思います。

とりあえず、友人の子は親ファクターの無くなった初の人間関係で参っているようである。そう言うものだと割り切れるようになって欲しいと思う。

ただ、そうされても心の中で人間関係の収支決算をした結果が、居心地の良いもので付き合いたいのであればAの事もBの事も全部受け入れる必要がある。

そして自身が駄目だと思われている部分を直して行くしかないと思う。

 

友人は今の子供の状況では話すタイミングではないとして話せないと言っていたが、今でこうなので、どこかで何とかしないとこの先更に悪化していくと思う。

 

とりあえず最後に言いたいことは「そいつらだけが世界ではない」

学生時代、生活の大半を過ごす学校が世界の全てに思えて学校の中の判定が全てに思えて、そこで批判や否定を食らえばそうだと思い込んでしまう。

自分自身がそうであったので友人の子が話を聞ける子になったら言ってあげたい。

合わないのであれば無理に全てをあわせる必要はなくて最低限弾かれない程度にだけ頑張って合わせてやり過ごせばよい。

同じクラスの仲間とか同じ学校の仲間とよく聞くけれど、じゃあ教職員は同じ学校の仲間で全身全霊で同僚が好きか?全員で仲良く生徒同士が過ごす時間と同じ時間を教職員で過ごせるか?と言うことになる。

変な話、大人だろうが5人くらいランダムで集められたら、その中から嫌いな奴の1人くらい出てくる。大人の付き合いも多少出来るだろうが、無理なものは無理なのだ。

 

もし友人の子が絵が得意で伸ばせば絵描きさんになれるかもしれない。でも今のクラス今の学校が絵を軽んじていて、それに同調させられたら絵描きの将来なんてなくなってしまう。

またうまくまとまらなくなってきた…

 

最後の最後に書くとすると、

いじめる奴らは死後の世界になんで地獄があるのかを考えたほうがいいよ。

いじめられた子は今の集団に合わないだけで、その集団から離れて自分らしく居られて他人に迷惑をかけないでいられる場所を探せばよいだけで、もし前向きに捉えられる余裕があるのであれば、いじめられた理由を考えてみて日々の行いに問題があると思えれば直せば更に素敵人間に進化できるよ。

いくら直してもいじめられるとしたら、ただいじめたいだけの連中だからそれこそさっさと切り捨てちゃえば良いのだよ。

 

とは言え、これもうまくその話にフィットする人だけにしか効果がない話で、人の数だけ色々あります。

 

うまく言えませんが、子供に日ごろから言っている言葉で最後を締めたいと思います。

いじめは風邪と一緒でどれだけ予防しても風邪を引くときは引くようにいじめられるときはいじめられる。

本当に風邪と一緒だから、風邪も早めの薬や通院が大事なのと一緒でいじめも早めの対処が必要。

風邪引いて恥ずかしいって親に言わないなんて事が無いように、いじめも恥ずかしいなんて事が無いからさっさと言ってさっさと直そう。

薬が苦いのも、注射が痛いのも一緒。

いじめを直すときにには苦いのも痛いもあるけど、直るまで薬を飲んで注射をするのと一緒。

だから遠慮なく言っていいんだ。

こっちも変だなって思ったら「何かあったか?」って聞くから遠慮なく言っていいんだ。